5月1日時点の県移動人口調査で、桐生市の人口が10万人台を70年ぶりに下回った。繊維産業の隆盛を背景に戦後間もない時期には県内最大の人口を誇ったが、1970年代に減少に転じた。少子高齢化が深刻な同市では近年、10年で1割と減少ペースが加速している。人口減少は一部の地域を除いて日本全体の問題だが、市には女性や若者が住みやすい環境整備を図ることで出生率を向上させつつ、自然や地場産業など魅力を生かした移住促進に力を入れ、減少ペースの抑制に努めてほしい。
移動人口調査は5年に1度の国勢調査を基に各市町村の出生、死亡、転出入の数を加減して県が推計し、毎月公表している。5月1日時点の同市の人口は前月比190人減の9万9851人で、1年前から1691人減った。2015年10月の国勢調査時は11万4714人で、10年足らずで約1万5千人少なくなった計算になる。
人口推移をさかのぼると、1947年の国勢調査では県内1位の9万1482人を数えた。54年に梅田、相生、川内の3村と合併すると10万人を超え、76年にピークの13万5929人に達した。減少に転じて以降は、新里、黒保根の2村との合併(2005年)で一時13万人台に戻ったが、歯止めはかからなかった。
亡くなる人は多いが、新生児が少ない現状が各種数値に表れており、高齢化率は37・35%(4月1日)で、1人の女性が生涯に産む子どもの数を推定した合計特殊出生率は0・95(22年)となっている。
増減には地場産業の盛衰が密接に関わってきた。戦前からの繊維産業を中心とした工業の発展で、商業も活況を呈した。戦後は“ガチャンと織れば万札が入ってくる”と称された「ガチャマン景気」の好況もあった。しかし70年代以降はオイルショックやドル引き下げ、安価な外国製品の流入などで競争力が失われ、産地として縮小。機械金属関連の企業も生産拠点を海外に移転するなどして、産業の空洞化が進んだ。
行政も手をこまねいているわけではない。国の重要伝統的建造物群保存地区の本町1、2丁目周辺で、住民と協力して進める景観整備が実を結び始めた。情緒ある街並みに引かれ、新規出店に伴う移住者が増えている。流れを加速させようと、市は昨夏、起業や店舗開設の希望者をメインターゲットにした相談窓口「市移住支援フロント むすびすむ桐生」を設けた。
人口減少要因の中でも大きな課題である若年層の流出についても、対応を模索する。大学進学率の高まりが背景だが、いったん地元を離れると戻ってこない傾向が強いという。市は課長級職員らによる検討委員会をつくって若者と女性の移住・定住策を立案し、市長に提言する方針だ。
人口問題に詳しい高崎経済大の佐藤英人教授は、減少は社会構造上の問題で止めるのは困難とした上で、桐生についてはテレワークの定着を踏まえ、工場一辺倒ではなく業務機能の誘致が有効と指摘。「デザインや企画系の職種を呼び込み、繊維産業と結び付けるなど、強みを生かしたアイデアが求められる」とする。
コロナ禍を経て、都市と地方を行き来する「多拠点居住」など生活スタイルの選択肢が増えている。山や森林が市街地の間近にあり、伝統産業が息づくまちに魅せられる人は多い。自らの足元を見つめ直し、機運を逃さぬよう対策を急ぎたい。